東京と近郊の自然・花・公園・庭園・寺社仏閣・お屋敷・絶景・穴場スポットなどをご紹介します。歴史や地形などの視点も絡めています。

成田山新勝寺

【成田山新勝寺】

成田山新勝寺は、千葉県成田市にある真言宗智山派の仏教寺院であり、同派の大本山の一つです。

成田山というと節分会の豆まきも有名です。毎年大相撲の関取や有名人・芸能人が豆まきをしてニュースになっています。

うなぎと参道と一緒に。

目次

  • 成田山新勝寺の概要と歴史
  • 成田山新勝寺の全体図(鳥瞰図)
  • 成田山新勝寺の地形
  • 成田山新勝寺の見どころ
  • 成田山新勝寺の御朱印
  • 成田山新勝寺へのアクセス

成田山新勝寺の概要と歴史

成田山新勝の山号は成田山。山号を付して「成田山新勝寺」、あるいは山号のみで「成田山」と呼ばれています。本尊は弘法大師が敬刻開眼した不動明王で、不動明王信仰の一大中心地です。

成田不動、お不動さまなどといった通称でも広く親しまれています。開山は平安時代中期の天慶3年(940年)と伝えられています。

成田山が今のように人気のお寺になったのは江戸時代のことでした。 江戸歌舞伎の花形役者・初代市川團十郎(だんじゅうろう)が子宝に恵まれず悩んでいました。成田山新勝寺で願掛け勤行をおこなったところ見事跡取りを授かり、團十郎はこれに報謝して元禄八年 (1695年)『兵根元曽我(つわものこんげんそが)』 『成田不動明王山』を上演し大好評となります。

元禄十六年には成田山の出開帳が江戸城下で行われ、初代團十郎はこのイベントに合わせて『成田分身不動』(胎蔵界不動)を初演、これがまた大好評となり、以後「成田屋」(市川團十郎)にあやかり一躍成田山は江戸っ子に人気の参拝地になりました。

その後も何度も出開帳が行われ、あまりの人気に現在の江東区門前仲町に深川不動尊が「成田山御旅宿」として分霊を招いて開基されたりしました。

現在でも初詣の参拝客数は、三が日で約300万人(寺院では全国1位)が訪れます。

仏閣に限れば全国第1位の参拝客数で、今も昔も加持祈祷のために訪れる人が多いことでも知られています。

成田山新勝寺の全体図(鳥瞰図)

衛星画像(クリックで拡大)

Googleマップ(3D回転)

成田山新勝寺の地形

ぽつんとある台地の上ですね。すばらしい位置です。

成田山新勝寺の見どころ

写真1

総門。高さ15mの総欅造り。

総門から仁王門。

 

仁王門。1831(天保2)年再建の国指定重要文化財。

大提灯の「魚がし」の文字は、魚河岸講の奉納によるもの。

 常香炉

大本堂。1968(昭和43)年建立。

三重塔。1712(正徳2)年に建立された重要文化財。

聖徳太子堂。日本の仏教興隆の祖である聖徳太子の理念にもとづき、世界平和を願って建てられた。

本堂裏

額堂。1861(文久元)年に建立された重要文化財。

七代目市川團十郎

光明堂。1701(元禄14)年に建立された重要文化財。江戸時代中期の貴重な建物。

堂額。

歴史を感じます。

 

光明堂裏の奥之院の洞窟。

 

醫王殿 陶器の手水舎。

平和の大塔。真言密教の教えを象徴する塔。

成田山公園の噴水。

清滝権現堂

釈迦堂。1858(安政5)年に建立された重要文化財。

 

密集

平泳ぎ

成田山新勝寺の御朱印

大本堂・不動明王の御朱印

平和大塔・不動明王の御朱印

醫王殿・薬師如来の御朱印

成田山新勝寺へのアクセス

<所在地>

千葉県成田市成田1

<交 通>

「京成電鉄 京成成田駅」または「JR線 成田駅」より 徒歩10分

<入園料> なし

<駐車場> あり